2009年6月22日月曜日

協働会館

東京新聞が今日付けの夕刊で、芝浦の協働会館(恊働会館)に関する記事を掲載していました。

戦前の旧検番 芝浦・協働会館 花街の面影残せ

芸妓(げいぎ)組合の事務所と芸を学ぶ花柳界の学校などを兼ね備えた「検番」として戦前に使われていた「協働会館」(東京都港区芝浦一)が保存されることになりそうだ。戦前の建物としては都内に唯一残る旧検番で、雅叙園(目黒区)を手掛けた棟梁(とうりょう)、酒井久五郎が設計した近代和風建築。

(中略)

建物は一九三六(昭和十一)年、芝浦に住み、地元の置き屋や料亭など花柳界にかかわる三業組合の組合長だった細川力蔵が設計を依頼、木造二階建て延べ約四百四十平方メートル・・・

(中略)

戦争で芸者たちが疎開すると、都が四四年ごろ購入。「協働会館」として港湾労働者の宿泊所にし、二階の大広間は住民に貸し出して催しや踊りのけいこ場に使われた。映画のロケにもたびたび使われたが老朽化のため二〇〇〇年に閉鎖した。

都は住民の保存運動を受け、使い道を探したが見つからず取り壊しを検討。〇六年に保存と活用を求める請願が都議会と区議会で採択されると、都と区は耐震性などを調査。老朽化は深刻で、近代的工法では外観の保存と大広間の利用を両立させることは難しいとの結果が出た。

しかし、その後、伝統的な木造建築の保存工法で格子状の補強材を内壁に取り付けるなどすることにより両立できる可能性があることが判明。区は「区民の保存の要望が強いので試したい」と追加調査を決めた。

(以下略)


協働会館 2009年5月の状況
協働会館は芝浦一丁目の旧海岸通りから一本裏手にあります。現在では老朽化のため立ち入りは禁止され、ネットで覆われて保護されています。付近には「旧木村屋」など戦前の建築が数軒残っています。この界隈は戦災を避けることができたのでしょう。

協働会館は戦争を生き抜いた貴重な木造建築ですから保存するのは良いのですが、現在の場所のままでは周囲をビルに囲まれてしまい、側面や背面から鑑賞することができません。

数年後に田町駅東口北地区に新しくできる公園に移築するのも一つの手かと思いますが、そうすると公園が狭くなってしまいますかね。

協働会館
港区芝浦1-11

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