2009年6月29日月曜日

芝浦アイランドの護岸にカニがうじゃうじゃ

いま、芝浦アイランドの護岸にカニ(ベンケイガニ)がうじゃうじゃと出現しています。

このカニたちは、芝浦アイランドのケープタワー横に人工的に作られた、通称「カニ護岸」を棲家とするものです。カニ護岸が作られたいきさつはカルガモプロジェクトのサイトで紹介されています。

ベンケイガニは7月から9月に繁殖期を迎えます。カニたちは繁殖・産卵のために波打ち際に集合しているようです。そして満月の夜に満ち潮に合わせて一斉に卵を海に放つそうですが、そんな「大自然の神秘」みたいな現象が都会のこんな身近な場所でも見られるんでしょうかねえ?7月の満月は来週火曜日の7日です。

2009年6月28日日曜日

高浜運河ではまたも2ファミリーのカルガモが孵化

高浜運河を中心とする芝浦・港南エリアの運河では、先週の時点からまた新たに2ファミリーのカルガモの雛鳥が孵化しました。一方で既に成長した雛鳥たちの中には姿が見られなくなったものもおり、雛鳥の総数は減少しています。6月27日(土)の時点で私が確認した結果をまとめました。

ファミリー名 推定孵化日 初回確認雛 6/27の状況 備考
高浜運河B 5/18~19 5羽 5羽
芝浦B 5/27以前 11羽 3羽
高浜運河G 5/22~26 計33羽 8羽 C~Fのいずれか
5/30に9羽を確認
高浜運河I 5/29以前 2羽 1羽
高浜運河N 6/1~4 計19羽 4羽 J~Mが合流
高浜運河O 6/10以前 4羽 不明 26日に4羽を確認
高浜運河Q 6/12以前 3羽 2羽
高浜運河R 6/12~13 8羽 8羽
高浜運河S 6/19~20 8羽 6羽
高浜運河T 6/22~23 6羽 3羽
高浜運河U 6/26~27 9羽 9羽

5月18日頃に孵化した5羽(高浜運河B)です。どうやら他の場所にねぐらを見つけたらしく、普段は高浜運河では見かけなくなりました。夕刻になると近所の方が餌やりをするので、それを目当てにやってくるようです。彼らはいつも母親と一緒で、なかなか親離れしません。

芝浦アイランドの周辺にいる3兄弟です。5月下旬に孵化した11羽(芝浦B)のうちの生き残りとみられます。体毛の生え換わりも終わり、もうすぐ独り立ちする頃です。

5月22日から26日頃に多数が孵化した中の生き残りとみられる8羽(高浜運河G)です。このとき親鳥も近くにいましたが、親鳥とは別々に行動することも多くなってきました。独り立ちの兆候でしょうか。

5月末に孵化した高浜運河Iです。兄弟は死んでしまって1羽きりになってしまいましたが、両親と3羽連れの姿がよく見られます。

成長の程度からみて、6月1日から4日頃に別々のファミリーとして孵化し、その後混ざってしまった11羽(高浜運河N)のうちの4羽であると思います。先週末までは11羽が一緒でしたが、今週に入ってからは4羽しか見あたりません。

こちらは高浜運河Nの先週の様子です。高浜運河Nには、母親とは別のメスの成鳥が近寄ってきて、混ざってしまった自分の子供を取り返そうとしているように見えました。結局、雛鳥はそれぞれのメスについていって、二手に分かれたのではないかと思います。

残りの7羽の姿は高浜運河周辺では見当たりませんでした。これだけ大きくなった雛鳥がそう簡単にバタバタと死んでしまうとは考えづらいので、どこか他の場所で生存していると思いたいですね。

6月9日頃に孵化した4羽(高浜運河O)です。この写真は26日に撮影したものです。土日には高浜運河周辺では見当たりませんでした。やはり、どこか他の場所で生存していると思いたいです。

6月11日頃に孵化した高浜運河Qの2兄弟です。浜路橋周辺で見かけることが多いです。

6月13日に初めて見かけた8羽(高浜運河R)です。今までのところ一羽も欠けずに生存しています。現在高浜運河にいる雛鳥たちの中では、この子たちが一番活発です。

6月20日に初めて見かけた雛鳥たち(高浜運河S)です。当初は8羽いましたが、6羽に減ってしまったようです。

6月22日から23日にまた新たに孵化したとみられる雛鳥たち(高浜運河T)です。現時点では3羽が生存しています。

こちらは高浜運河Tの23日朝時点での写真です。生まれてきたのは6羽でした。しかし、高浜運河の混雑状況では、生き抜くのは難しかったようです。

そして、土曜日にまた9羽(高浜運河U)が新しく生まれていました。推定孵化日は6月26日から27日です。母親と父親がぴったりと寄り添っていました。

今週生まれてきた他の雛鳥たちの状況を見る限りでは、この子たちが生き抜くのも難しそうですが、頑張って欲しいものです。

話は変わりますが、aomorikumaさんによる『あおもりくまの生態』というブログに、カルガモによる子殺しの様子を捉えた動画が紹介されていました(見たくない方はリンクを踏まないでください)。私が目撃した事例はあくまでメスの成鳥がよその子供を殺害したものでしたが、こちらの事例は自分の子供を殺害した、いわば「間引き」といえるものだそうです。

カルガモの雛鳥に必要な量の餌を供給するためには、どうやら相当広い面積の水面が必要のようです。餌不足に直面した親鳥がこうした行動を取るのもありうる話だと思います。なお高浜運河では「間引き」のような事例は確認していません。

2009年6月26日金曜日

御楯橋と海軍経理学校

品川駅港南口から正面に進んで高浜運河を渡る位置に御楯橋(みたてばし)がかかっています。


御楯橋の位置

長さ71メートル、初代の橋が架けられたのは1942年(昭和17年)で、現在の橋は1966年(昭和41年)に架け替えられた2代目です。



「御楯橋」の名は、『万葉集』今奉部與曾布(いままつりべのよそふ)の「今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御盾と出で立つ吾は」という歌に由来するとされています。万葉集とはまた風雅な話ですが、この歌は1942年に『愛国百人一首』に選定されたのをきっかけに広く知られるようになりました。

あるいは命名者は、1862年に高杉晋作が組織した「御楯組」を意識したのかもしれません。高杉晋作、久坂玄瑞、井上聞多(井上馨)、伊藤俊輔(伊藤博文)ら御楯組の12人は、1863年1月、品川御殿山で建設中だった英国公使館を焼討ちするという事件を起こしています。

初代御楯橋が架けられた当時、御楯橋を渡った先では海軍経理学校の品川分校が建設中でした。海軍は巨大官僚組織でしたから、指揮官や水兵の他に、事務的な仕事をこなす大量の頭脳労働者が必要でした。そうした人材を養成したのが海軍経理学校です。海軍経理学校の受験者は一般の大学を卒業した社会人で、2年間の短期現役勤務の後、社会復帰するのが通例でした。

海軍経理学校のOBとしては中曽根康弘元首相が有名です。中曽根氏は群馬の名士の家の出で、東京帝大の法科を卒業して内務省に入省した秀才でした。しかし中曽根氏のような青年にも平等に兵役は課されます。そこでこうした青年の多くは、二等兵としてこき使われるよりも、海軍経理学校に入学して将校待遇を得る道を目指したのです。

それは決して楽な道ではありませんでした。太平洋戦争では中曽根氏も最前線で戦っていますし、海軍経理学校の出身者からも多数の戦死者を出しています。

1944年、海軍経理学校築地本校が手狭となったため品川に本校が移転してきました。終戦とともに敷地は進駐軍に接収され、後に日本政府に返還されて東京水産大学の移転先となりました。現在の東京海洋大学の敷地内には海軍経理学校を偲ばせる遺構は残っていません。ただ「御楯橋」の名のみに名残をとどめています。

2009年6月24日水曜日

芝浦キャナルカフェ

4月から不定期で営業していた「芝浦キャナルカフェ」が、6月14日に正式オープンを迎えました

芝浦キャナルカフェは、田町駅近くの新芝運河のほとりで営業している移動式オープンカフェです。場所はこのへんです。

芝浦キャナルカフェは、港区の助成を受けて芝浦商店会が運営しています。ケータリングカーの外装をデザインしたのは若手建築家の古川明久氏。

タンブラーはロゴ入りでした。汗をかいた日に水辺のオープンスペースで生ビールを一杯、なんて魅惑的過ぎですね。食べ物も気軽に頼めますので会社帰りにふらりと立ち寄る機会が増えそうです。ただし「カフェ」の店名とは裏腹に、メニューにコーヒーやエスプレッソはありません。

商店会では当初は恒久的な店舗の建設を提案していたものの、港区の認可が下りず、移動式とすることで認可が得られたそうです。しかし現状でも運河沿いの通行路の一部を占有してしまいますので、全く問題が無いとは言えないでしょう。運河沿いの通行路がもう少し広かったら良かったのですが。

芝浦キャナルカフェ
港区芝浦3丁目、新芝橋のたもと
営業時間:17:00-21:00、雨天休業、日祝休
メニュー:生ビール400円、サワー類300円、地酒400円、ソフトドリンク200円、チーズ盛り合わせ400円、ソーセージ盛り合わせ450円、他

2009年6月23日火曜日

2008年度も品川駅はますます混雑

JR東日本より、各駅の乗車人員数統計の2008年度版が公表されました。乗車人員数は1日あたりの平均値として算出されています。

2008年度の数値と前年度からの増減を表にまとめました。新宿、池袋、渋谷で大幅減となっているのは東京メトロ副都心線開業の効果でしょう。横浜と東京での微減は不況の影響でしょうか。

そんな中で品川駅は前期比+1.3%の増加となっています。どうりで平日朝の東西自由通路における土石流のごとき人波は衰えを知らないわけです。

      2008年度(順位) 2007年度(順位) 増減率
新宿 766,020(1) 785,801(1) ▲2.5%
池袋 563,412(2) 589,837(2) ▲4.5%
渋谷 426,317(3) 445,730(3) ▲4.4%
横浜 402,193(4) 403,394(4) ▲0.3%
東京 394,135(5) 396,152(5) ▲0.5%
品川 328,439(6) 324,253(6) +1.3%
新橋 251,021(7) 249,607(7) +0.6%
大宮 239,720(8) 239,111(8) +0.3%
田町 154,124(17) 154,750(16) ▲0.4%

1999年度以降10年間での増減もまとめてみました。新宿、池袋、渋谷、横浜、東京、品川、新橋、大宮という上位8駅の順位は1999年度以降変動していないのですが、乗車人員数を見ると品川駅の伸びは突出しています。10年前は品川駅と田町駅とは規模的にはそんなに違わなかったんですね。

      2008年度(順位) 1999年度(順位) 増減率
新宿 766,020(1) 756,772(1) +1.2%
池袋 563,412(2) 574,243(2) ▲1.9%
渋谷 426,317(3) 423,336(3) +0.7%
横浜 402,193(4) 391,196(4) +2.8%
東京 394,135(5) 376,960(5) +4.6%
品川 328,439(6) 247,564(6) +32.7%
新橋 251,021(7) 229,942(7) +9.2%
大宮 239,720(8) 228,571(8) +4.9%
田町 154,124(17) 162,393(12) ▲5.1%

2009年度は、品川駅の乗車人員数は微減となると思います。中日新聞ビルやSSJ品川ビルの建て替えで一時的にオフィスがよそへ移転しているためです。しかし2010年度にはこれらのビルが竣工するため、混雑はいっそうひどくなるでしょう。混雑の緩和はリニア品川駅の開業まで待つしかなさそうです。

2009年6月22日月曜日

協働会館

東京新聞が今日付けの夕刊で、芝浦の協働会館(恊働会館)に関する記事を掲載していました。

戦前の旧検番 芝浦・協働会館 花街の面影残せ

芸妓(げいぎ)組合の事務所と芸を学ぶ花柳界の学校などを兼ね備えた「検番」として戦前に使われていた「協働会館」(東京都港区芝浦一)が保存されることになりそうだ。戦前の建物としては都内に唯一残る旧検番で、雅叙園(目黒区)を手掛けた棟梁(とうりょう)、酒井久五郎が設計した近代和風建築。

(中略)

建物は一九三六(昭和十一)年、芝浦に住み、地元の置き屋や料亭など花柳界にかかわる三業組合の組合長だった細川力蔵が設計を依頼、木造二階建て延べ約四百四十平方メートル・・・

(中略)

戦争で芸者たちが疎開すると、都が四四年ごろ購入。「協働会館」として港湾労働者の宿泊所にし、二階の大広間は住民に貸し出して催しや踊りのけいこ場に使われた。映画のロケにもたびたび使われたが老朽化のため二〇〇〇年に閉鎖した。

都は住民の保存運動を受け、使い道を探したが見つからず取り壊しを検討。〇六年に保存と活用を求める請願が都議会と区議会で採択されると、都と区は耐震性などを調査。老朽化は深刻で、近代的工法では外観の保存と大広間の利用を両立させることは難しいとの結果が出た。

しかし、その後、伝統的な木造建築の保存工法で格子状の補強材を内壁に取り付けるなどすることにより両立できる可能性があることが判明。区は「区民の保存の要望が強いので試したい」と追加調査を決めた。

(以下略)


協働会館 2009年5月の状況
協働会館は芝浦一丁目の旧海岸通りから一本裏手にあります。現在では老朽化のため立ち入りは禁止され、ネットで覆われて保護されています。付近には「旧木村屋」など戦前の建築が数軒残っています。この界隈は戦災を避けることができたのでしょう。

協働会館は戦争を生き抜いた貴重な木造建築ですから保存するのは良いのですが、現在の場所のままでは周囲をビルに囲まれてしまい、側面や背面から鑑賞することができません。

数年後に田町駅東口北地区に新しくできる公園に移築するのも一つの手かと思いますが、そうすると公園が狭くなってしまいますかね。

協働会館
港区芝浦1-11

2009年6月21日日曜日

運河に生息するカルガモの雛は総計50羽に

高浜運河を中心とする芝浦・港南エリアの運河に生息するカルガモの雛たちは、先週の時点から何羽か死んでしまったようですが、新しく生まれてきた雛もおり、6月20日(土)の時点で総計50羽に達していました。昨日私が確認した結果をまとめると下記のようになります。

ファミリー名 推定孵化日 初回確認雛 6/20の状況 備考
高浜運河B 5/18~19 5羽 5羽
芝浦B 5/27以前 11羽 3羽
高浜運河G 5/22~26 計33羽 8羽 C~Fのいずれか
5/30に9羽を確認
高浜運河I 5/29以前 2羽 1羽
高浜運河N 6/1~4 計19羽 11羽 J~Mが合流
高浜運河O 6/10以前 4羽 4羽
高浜運河Q 6/12以前 3羽 2羽
高浜運河R 6/12~13 8羽 8羽
高浜運河S 6/19~20 8羽 8羽

5月18日頃に孵化した5羽(高浜運河B)です。成鳥の体毛への生え換わりも終わりました。独り立ちも間もなくでしょう。まだ母親が恋しいらしく、たまにピーピーと鳴くのですが、声変わりの最中なのか、雛鳥と親鳥の中間くらいの音程で鳴いています。

芝浦アイランドの周辺にいる3兄弟です。5月下旬に孵化した11羽(芝浦B)のうちの生き残りとみられます。

5月22日から26日頃に多数が孵化した中の生き残りとみられる8羽(高浜運河G)です。彼らも体毛の生え換わりの時期になってきました。

5月末に孵化した高浜運河Iとみられる親鳥と雛鳥です。先週の時点では2羽が生存していたと思われますが、1羽減り、母一人子一人になってしまったようです。

6月1日から4日頃に別々のファミリーとして孵化し、その後混ざってしまった11羽(高浜運河N)です。15日には12羽が一列に並んで寝ていたのですが、その後1羽は何らかの理由で死んでしまったようです。

高浜運河Nには、母親の他に、もう1羽別のメスの成鳥が近寄ってきていることがあります。この写真に写っている2羽の成鳥は、つがいではなく、いずれもメスに見えます。

その証拠に、2羽はしばしば喧嘩していました。

想像ですが、もう1羽の方のメスの成鳥は、自分の子供がこのファミリーに混ざってしまったのをわかっていて、それを取り返そうとしているのでしょうか。

6月9日頃に孵化した4羽(高浜運河O)です。先週は潜水芸を公開していましたが、今週は見られませんでした。

6月11日頃に孵化した高浜運河Qです。先週の時点では3羽が確認できていましたが、1羽減ってしまったようです。相変わらず父親がつかず離れずといった感じで見守っています。

6月13日に初めて見かけた8羽(高浜運河R)です。この子たちが生き残るのは難しいかなと予想していましたが、今のところみな元気です。

そして、またまた新しく生まれてきたのか!とびっくりさせられた8羽の雛鳥たち(高浜運河S)です。推定孵化日は6月19日から20日です。

先週の時点から昨日までの間は、何度か雷雨はありましたが昼間は晴れの日が多かったので、運河の藻類の生育も良く、雛鳥たちにとっては生きやすい環境だったのでしょう。しかし、今日も雨が降り続いていますし、これからぐずついた天気が続けば雛鳥たちにとっては厳しいのではないかと思います。

2009年6月19日金曜日

ビュロー品川

新港南橋の目の前に「ビュロー品川」が立っています。ビュロー品川は、株式会社スペースデザインが運営するサービスアパートメント(マンスリーマンション)の一つです。滞在記を掲載しているブログもありました。

高さ84.5メートル、24階建て305室、部屋の広さは家具つきタイプで28平米から43平米、他に家具なしのタイプもあります。立地は高浜運河に面しており、キャナルビューとなる西向きの部屋が人気だそうです。新港南橋を渡る車の騒音が多少気になりますが、交通量は多くはありません。

月額賃料は家具つきタイプで何と23万円から50万円!です。これは、サウナ付き大浴場やフィットネスコーナーなどの豪華館内設備、毎日の朝食サービス、品川駅までの送迎シャトル、バイリンガルコンシェルジュなどのサービスを含む値段なので、このくらいにはなるのでしょう。

ビュロー品川の入居者の方々は、見た感じでは外国人と日本人が半々くらいです。おそらく品川のソニーやフィリップスでの仕事の関係で、数ヶ月単位で滞在している方々でしょう。自腹で払っている人はそんなにはいないと思います。入居者の皆さんは向かいのフーデックスプレスに買い物にいらっしゃるようで、フーデックスプレスでは外国人の姿がちらほら見られます。

ビュロー品川の外装デザインの監修は、ルイ・ヴィトン表参道ビルやルイ・ヴィトン銀座並木通り店を手がけた青木淳、内装デザインは東京国際フォーラムを手がけたピーター・ハンだそうです。青木淳のデザインによるものなのか、夕刻にはファサードにオレンジ色のイルミネーションが灯され、運河の夜景に彩を添えています。

ビュロー品川公式サイト
港区港南4-1−6

2009年6月18日木曜日

芝浦ツバメにも雛が誕生

5月初め、芝浦三丁目にツバメの巣を見つけました。しかし今では、そちらに巣は残っていますが、ツバメの姿は見当たりません。

代わって芝浦二丁目のマンションの軒先にツバメが巣を作っていました。同一の個体かどうかは定かではありませんが、前の場所だと繁華街に近すぎでしたので、さすがに居心地が悪いと感じたんじゃないですかね。

既に5羽の雛が育っています。親鳥による子育ても大変そうですが、マンションのオーナーさん、管理人さんも大変そうです。

親鳥はものすごいスピードで餌場と巣との間を往復していました。マンションの前は道路なので、親鳥がトラックにぶつかったりしやしないかと心配です。

2009年6月16日火曜日

ご当地キャラクター

滋賀県彦根市の観光PRキャラクターである「ひこにゃん」が、14日から16日の間にグランドプリンスホテル新高輪に来たそうです。私はこのところカルガモのことで頭がいっぱいだったので、プリンスホテルのイベント告知サイトをチェックするのを忘れ、情報を事前にキャッチすることができませんでした。

でもいいんです。「ひこにゃん」は「ご当地ゆるキャラ」ブームの火付け役となりましたが、その後ご当地ゆるキャラは各地に雨後の筍のごとく現れ、すでに消費者から飽きられて時代遅れとなっています。現在のトレンドはご当地萌えキャラにあります。

いま最も話題となっているご当地萌えキャラは知多みるくちゃんでしょう。知多みるくちゃんは、愛知県知多半島地域のイメージキャラクターとして、地域活性化のため活躍されています。おたく男性だけでなく、女性や子供たちにも人気のようです。

芝浦・港南エリアには、知多みるくちゃんのような公的機関で制定されたご当地萌えキャラはいませんが、エリアにちなむ非公式のキャラクターならいます。

「バスむすめ」シリーズより、キャラクターのひとり芝浦じゅりちゃんです。じゅりちゃんの制服は1991年当時の「はとバス」のガイドさんの制服です。名前の由来は当時一世を風靡した某ディスコ名とその所在地から。じゅりちゃんは1991年にはとバスのガイドさんをされていたということは、2009年の現在ではママさんでしょうか。

「鉄道むすめ」シリーズより、羽田あいるちゃん、羽田みなとちゃん姉妹です。羽田あいるちゃんは東京モノレールでお客さまをご案内する駅務係。物事を順序だてて説明するのが得意です。名前の由来は羽田空港と天王洲アイルから。あいるちゃんは既にドラマにも主演しています。

羽田みなとちゃんは東京モノレールでご案内を務めるアテンダント。姉のあいるちゃんとも仲良しです。名前の由来は羽田空港と本社所在地の港区から。妹のみなとちゃんのほうが随分と落ち着いていてお姉さんぽいですね。

と、ここまで書きましたが、もしかしたら萌えも既に時代遅れになりつつあるのかもしれません。どうも最近のトレンドは美形男子に移ってきたような気もします。

2009年6月14日日曜日

潜水カルガモ

高浜運河で5月初めに孵化したカルガモの雛鳥(高浜運河A)は、6月9日に6兄弟が一緒にいる様子が確認されたのを最後に、芝浦・港南エリアの運河では見かけなくなりました。きっと、親鳥と離れて行動するようになり、独り立ちを果たしたのではないかと思います。

新港南橋近くの高浜運河では、カルガモの変わった生態が観察されました。写真は、後述する高浜運河Oのカルガモ親子の母親が、雛鳥の前で水中にダイブしてみせ、雛鳥がそれを真似ている様子です。潜って餌を取る方法の教育でもしていたのでしょうか。

他にもこの母親は、雛鳥の前で水上を猛スピードで進んでみせたりしていました。きっとスパルタ教育ママですね。

また、今日は高浜運河にマルガモのオスらしき個体が飛来していました。マルガモとは、マガモとカルガモとの交雑種の俗称です。芝浦・港南エリアでは初めて目撃しました。

マルガモは不忍池などにいるそうなので、そちらから飛んで来たのかもしれませんが、この界隈で誕生しているとしても不思議ではありません。

さて、6月14日の時点で、高浜運河を中心とする芝浦・港南地域で私が確認したカルガモ親子は下記の通りでした。

ファミリー名 推定孵化日 初回確認雛 6/14の状況 備考
高浜運河B 5/18~19 5羽 5羽
芝浦B 5/27以前 11羽 3羽
高浜運河G 5/22~26 計33羽 8羽 C~Fのいずれか
5/30に9羽を確認
高浜運河I 5/29以前 2羽 2羽
高浜運河N 6/1~4 計19羽 12羽 J~Mが合流
高浜運河O 6/10以前 4羽 4羽
高浜運河P 6/8~9 2羽 6/12まで
高浜運河Q 6/12以前 3羽 3羽
高浜運河R 6/12~13 8羽 8羽

5月中旬に孵化した5羽(高浜運河B)です。成鳥の体毛へと生え換わる時期に来たようで、もさっとした感じになっています。

芝浦アイランドの周辺にいる3兄弟です。5月下旬に孵化した11羽(芝浦B)のうちの生き残りとみられます。先週の時点では4羽が生存していましたが、1羽減ってしまいました。

5月下旬に多数が孵化した中の生き残りとみられる8羽(高浜運河G)です。この他に高浜運河Gには1羽だけ体の小さな雛鳥がいましたが、6月12日を最後に見かけなくなりました。

体の小さな雛鳥のことはいろいろな方が心配してくださっていたのですが、残念ながら死んでしまったようです。高浜運河Gの雛鳥たちは、成長するにつれて行動範囲がどんどん広がっているようです。体の小さな雛鳥は、兄弟たちについていけなくなってしまったのかもしれません。

遠目ですが、成長の程度からみて5月末に孵化した高浜運河Iとみられる2羽と親鳥です。このファミリーは浜路橋と高浜橋の間で見かけることが多いです。

これは6月1日から4日頃にかけて孵化したとみられる12羽の雛鳥たちです。7日の時点では18羽が4つのファミリーに分かれていましたが、その後、親鳥どうしが喧嘩したり、雛鳥もあっちに行ったりこっちに行ったりして、各ファミリーの雛鳥の数は増えたり減ったりを繰り返していました。

親鳥にも、自分の子供とよその子供とを見分けて、よその子供が近寄ってくると攻撃して追い払う母親もいましたが、見分けられないのか、何もしない母親もいました。

最終的には4つのファミリーがひと塊になってしまったようです。減った分の6羽は、これまでの過程で母親とはぐれたり、よその母親に噛み殺されたりしたのではないかと思います。生き残った12羽は改めて高浜運河Nとナンバリングすることにしました。

スパルタ教育ママが率いる高浜運河Oです。10日に初めて目撃したときには生まれたてという感じではなかったので、孵化したのはその2~3日前だったのかもしれません。

高浜運河Pです。9日の時点で、孵化したばかりとみられる2羽がいるのを見かけましたが、12日を最後に見かけなくなりました。残念ながら既に2羽とも死んでしまったのではないかと思います。

高浜運河Qの3羽は6月11日前後に孵化したとみられます。父親らしきオスがぴったりと寄り添っていることが多いです。

6月13日に初めて見かけた8羽(高浜運河R)です。まだこんなに生まれてくるのか、と改めて驚かされました。新港南橋周辺では相変わらず過密状態が続いていますので、この8羽も無事成長することは難しかろうと思います。

相変わらず毎週のようにカルガモの雛が生まれてきますが、私がカルガモの営巣場所ではないかと睨んでいるのが、浜路橋の北側のこの草むらです。

この場所は、いずれは舗装されて運河沿いの遊歩道となります。そうなればいよいよカルガモの営巣場所がなくなってしまいますので、カルガモプロジェクトの研究成果を生かした人工浮き巣の整備が高浜運河でも必要になってくるのではないかと思います。