嘉吉元年(1441年)6月24日、征夷大将軍足利義教は、赤松満祐の邸宅での宴席に招かれ、そこで斬殺されました。この事件を嘉吉の変といいます。
『赤松記』という史料によれば、赤松満祐は足利義教を「庭の泉水で鴨の子がたくさん生まれたので見にいらしてください」と誘ったといいます。現代の私たちは、なんだ室町武士もカルガモ見物していたのか、現代のおじさんと変わらんな、とわかります。
ところが興味深いことに、1973年に花田清輝が書いた『室町小説集』には、渡り鳥である鴨が夏の京都にいるはずがないではないか、だから『赤松記』は捏造に違いない、と書かれているのです。
これについて『浦島雑誌』というブログは、カルガモが広く知られるようになったのは、実は1980年代にマスコミが東京大手町のカルガモ親子の引っ越しを騒ぎ立ててからであり、それ以前は花田清輝のような知識人でさえカルガモの存在を知らなかったのだろうと分析しています。
しかし、より正確に言えば、1980年代以前カルガモは、存在を知られていなかったというよりは、日本での生息数自体が非常に少なかったのではないでしょうか。私も、田舎ではカルガモというものは見たことも聞いたこともありませんでした。
カルガモは農作物を食い荒らすため、農家では害鳥として嫌われています。おそらくトキと同様に、江戸から明治にかけて大半が駆除され、近年になってまた増えてきたのではないかと思います。現代の都会人が暢気にカルガモ見物をしていられるのも、被害を受けることがないからでしょう。
さて、そこで気になるのが芝浦小学校新校舎に設置される水田です。
芝浦小学校は2010年秋に芝浦四丁目に移転する予定で、先ごろ新校舎の建設工事が始まりました。芝浦小学校には現在でも小規模な水田があり、稲作の体験学習を行っていますが、新校舎にはもっと広い水田を設置するそうです。
移転先は運河のすぐ近くになりますので、油断していると運河に生息するカルガモたちが飛んできて、苗を踏み倒したり、稲穂を食い荒らしたりするかもしれません。防鳥ネットを張り巡らすことは難しくないと思いますので、どうかカルガモ連中への警戒を怠らないようお気をつけください。
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